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『静かなる細き声』から   ~平和ならしむる者~

静かなる細き声

静かなる細き声

引き続き同著を紹介したいが一部引用が難しいので、ほぼ前編を引用する。

 


山本七平『静かなる細き声』(文藝春秋) P66~P69 から )

平和ならしむる者

 その人の名は知らない。また生涯二度とその人に会うこともないであろう。またその人がどういう人なのか、簡単に言えば善人なのか
悪人なのか私は知らない。
 しかしその人のその瞬間の顔を私は終生忘れ得ない。だがそれを聞いたらその人は驚くかもしれない。というのは、その人は、そのときのことを
もう忘れているかもしれないからである。
 それは昭和20年8月28日であった。当時私は、ルソン島北端から50キロほど南へ下がった地点の、東海岸の断崖絶壁の近くにいた。敗北に敗北を
重ね、追われ追われて逃げ場のない人跡未踏のジャングルに追い詰められていた。背後は海、そこまで歩いて二日の距離であった。
 食料はすでになく、マラリア、栄養失調、アメーバ赤痢、負傷が重なり、生き残った32名のうち、歩けるものは十数人。付近のジャングルは腐乱死体
の山であった。
 8月15日の終戦はもちろん知らない。ただジャングルの前端に迫っていたアメリカ軍の動きがなんとなく鈍くなったことになにやら事態の変化が感じられていた、といってもフィリピン人ゲリラのわれわれに対する討伐は少しも衰えていなかった。

8月27日は、アメリカ軍将校に付き添われた旅団副官が前哨に来て、停戦命令がでたから、所在のアメリカ軍に連絡してその指示をうけよと言い
日時・場所を指示して立ち去った。
多少とも英語がわかるのは私だけであった。そこで私が連絡に行くことになった。

ジャングルの前端からこの部落までは1千メートルぐらいである。私は自分の生涯において、この千メートルを歩いたときぐらい、強い恐怖を感じたことはない。名目的には
平和になった、しかし自分の生命の安全は保障されていないという状態。こういう状態ほど不気味な状態はない。
(中略)
いつどこから弾丸が飛んできて射殺されるかわからない。といって、戦闘隊形をとるわけにもいかないという、非常に奇妙な状態に置かれるからである。

私は軍刀を背に負い、手榴弾二発を帯皮に下げ、銃を持ち、阿部という上等兵を一人つれて、ジャングルを出た。そして異常な緊張状態の中を
やっと、ダラヤの村長の家についた。
 米軍の将校は来ていなかった。村全体が険悪な雰囲気。「まてよ、ワナじゃないのか。呼び出してなぶり殺しにするつもりではないのか」
そんな疑念がわく。そしてそう思うと、全てがそう見えてくる。
 私は村長を人質にし、阿部上等兵にいざというときはどう応戦すべきかを指示して、待った。どれだけ待っていたのかわからない。
案外短い時間だったのかもしれない。だが異常な緊張は、一分を一時間にも感じさせる。

 やがてアメリカ軍の将校が来た。彼は完璧な丸腰で、たった一人で、フィリピン人からもらった水牛の角笛を楽しそうに吹きながら
やってきた。まどからその姿が見えた瞬間、今度は、どう対応したらいいのか戸惑った。「こんにちは」と言うわけにもいかず、おじぎも、握手も
奇妙である。何しろ、今の今まで撃ち合っていた相手である。その相手が、勝者としてどういう態度に出てくるのか、皆目わからないから・・・。
 彼はつかつかと入ってきた。二人は向き合った。彼は私の方をまっすぐに見て、きわめて簡単に言った。
「私は軍医だ。歩けない重病人は何人いるか。それを無事に収容するには、われわれはどうすればよいか」-
 その瞬間、全身の力が抜けた。一瞬にしてすべてが平和になった。二人はきわめて事務的に、日本軍による病人担送終結地点と、終結日時と、その地点に進出
するアメリカ軍兵員輸送車の数と日時を打ち合わせた。
 終わると彼は、きわめて事務的にもう一度念を押して去った。それだけであった。だがこの短い時間に、私の方に大きな心的転回があった。すべてが
平和になったのである。


イエスは「さいわいなるかな、平和ならしむる者。その人は神の子と称えられん」と言われた。この言葉はこの言葉の通りに受け取るべきであろう。
イエスは「平和ならしむる者」と言われたのであって、「平和、平和と大声で叫ぶ者」と言われたのでない。平和という単語を口にするかしないかは
、「平和ならしむる」ことに無関係である。
 その軍医は「歩けない重病人は何人いるか。それを無事に収容するには、われわれはどうすればよいか」といっただけで、「平和」という単語を口に
したわけではない。
 だがその言葉が出た瞬間、そこに平和は訪れ、その人は「平和ならしむる者」となった。そしてその瞬間を人は忘れない。
(中略)
 それは非常に具体的な言葉であり、すぐに行動を要請する言葉であった。だが、その言葉によって、人の心の中に平和が訪れ、平和が来たのである。
 昨日までの敵に、「歩けない重病人は・・・」と言ったこの言葉、この言葉こそ「生ける言葉」であり、それは百万言の平和論にまさる平和をもたらす。
そして余計なことを言わず、それだけを口にできる人が、「平和ならしむるもの」なのであろう。」

山本七平『静かなる細き声』(文藝春秋) P66~P69 )