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『井筒俊彦 叡智の哲学』 (若松英輔 慶応大学出版会)

 

井筒俊彦―叡知の哲学

井筒俊彦―叡知の哲学

 

 井筒俊彦共時的構造化によって描きだそうとした評伝

本書をひとことでいうならば、井筒俊彦という稀代の碩学を“彼が最後にたどり着いた「共時的構造化」の概念によって思想史の中に位置づけようとする試み”と言えるのではないだろうか。

井筒俊彦のいう共時的構造化とは何か?本書の以下の記述がとてもわかりやすい。

 

P124

 「世代」という表現が、読者を再び時間的次元に引きずり込むかもしれない。垂直に伸びる、長方形の立体を考えていただきたい。水平に一定の幅で区分し、十等分する。立体の高さ全体を百年とし、平面を世界だとする。等分されたところは十年となり、それは文字通りの「世代」となる。これを「横の世代」と呼ぶ。

 それに対し、立体をそのままに、次は縦に、天面から下方に向かい、垂直に等分する。その縦軸には百年の間に生きた、何ごとかによってつながる人間が収まるとする。これを「縦の世代」と呼ぼう。

 井筒がクローデルランボーを論じつつ言及するのは、この「縦の世代」である。百年にこだわる必要はない。たとえば古代ギリシアまで遡り、縦軸を三千年に延ばすこともできる。井筒俊彦は後年自身の仕事を「東洋哲学の共時的構造化」と表現したが、それは「縦の世代」の哲学的構造化と置き換えてもよいだろう。そこにはソクラテスプラトン孔子老子、古代インドの鉄人、ユダヤの神秘家、イスラームの哲学者、中国壮大の儒家たち、禅者、芭蕉本居宣長マラルメリルケサルトルが「同世代人」として生きている。

 物理的時間に「日々」があるように、永遠の軸にも「時」がある。古典ギリシア語では、「時間(クロノス)」と「時間(カイロス)」を使い分けた。前者はこの世界に外在し、「時」は内在する。日を時計で測るが、「時」は魂で測られるとアウグスティヌスが論じるのも同じ意味だろう(後略)

 

ざっというならば“時と場所を越えて違う言葉や概念で同じことようなことを思索し、論じようとしているその共通の枠組み”とでもいえばわかりやすいだろうか。

井筒俊彦とはどのような人物なのか?

30カ国語を自在に操った語学の天才、コーランの翻訳者、ジャック・デリダが巨匠と仰いだ、エラノス会議の代表として禅の真髄を世界に発信したetc

それでいながら、日本の宗教、精神史において、コーランの翻訳者、イスラム研究家という点以外で、ふさわしい評価はなされてはこなかった(らしい)。

あとがきで若松は、この本を書くきっかけをこう書いている。

P435)井筒の死は、新聞で知った。その扱いがあまりに小さかったのを、今でも鮮明に覚えている。全国紙すべてを買ったが、どこも形式的な記事ばかりだった。しばらく時間が経過して、河合隼雄司馬遼太郎は情感のある追悼文を書くが、むしろ、それは例外的で、ジャーナリズムは沈黙したといってよい。もちろん、追悼記事の大きさがその人物の業績を直接的に物語るとは限らない。静かに逝った優れた人物も少なくない。しかし、当時感じた、著しい違和感が、本書執筆の直接的な契機となった。(後略)

 

 

それを描くため、若松は井筒俊彦という人物を生い立ちから、知的交流があった人物を描くことによって、正確に位置づけようとしている。

 

西脇順三郎を師とし、親友関根正雄とギリシャ語を学び、大川周明の下東亜経済調査局でイスラム研究を開始し、高橋たか子遠藤周作日野啓三などの文学者や、井上洋治などのカトリック神学者に影響を与え、記号論丸山圭三郎脱構築デリダと深く交流し、ユングの開いたエラノス会議に参加し、エリアーデや世界のイスラムの知性を刺激した。(後年、河合隼雄とも対話がある)。互いに交流があったとは認められないのに、天理教の諸井慶徳や、哲学者九鬼周造、吉満義彦、そして白川静が漢字の世界で生涯積み重ねた学問の問題意識と、深層底流において深く重なり共鳴しあっていた。

 

若松英輔は井筒とそれぞれの著書を引用しながら、その世界を丁寧に描き出していく。

その不思議な共鳴こそが、井筒俊彦のいう「共時的構造化」というものであることが、読者には歩くにつれ目の前に徐々に姿をあらわにする巨大な山脈のように見えてくるのだ。

そこに見えるのは、西洋の知に対して、東洋から同じスケールで取り組んだ知性である。

 

 

②詩人としての井筒俊彦

 

若松はその井筒の本質を原語の達人として原典を読み込んだ上で、その書物が書かれた時代の空気を描きだす、目に見えぬものを何とか語ろうとする激情をコトバにした詩人というものして見出している。

若松が数多く引用している、井筒のコトバから読者は自ずとそれに気づくだろう。

 

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(以下引用)

P221)「存在はコトバである」

 

P4)「形而上学は形而上的体験の後に来るべきものである」

 

「悠邈たる過去数千年のときの彼方から、四周の雑音を高らかに圧しつつある巨大なものの声がこの胸に迫って来る。殷々と耳を聾せんばかりに響き寄せるこの不思議な音声は、多くの人々の胸の琴線にいささかも触れることもなく、ただいたずらにその傍らを流れ去ってしまうらしい。人は冷然としてこれを聞きながし、その音にまったく無感覚なもののように見える。しかしながら、この怖るべき音声を己が胸中の絃ひと筋に受けて、これに相応え相和しつつ、鳴響する魂もあるのだ。

 私は十数年前はじめて識った激しい心の鼓動を今ふたたびここに繰り返しつつ、この宇宙的音声の蟲惑に充ちた恐怖について語りたい。」(「神秘哲学」)

 

P14)「マドンナの理想を抱きながらソドムの深淵に投溺して行く」という言葉があるが、私の父はまさしくそのような霊魂の戦慄すべき分裂を底の底まで知りつくした不幸な、憑かれた人であるった。何者か、あらがい難き妖気のごときものに曳かれて暗澹たる汚辱の淵に一歩一歩陥ちこんで行きながら、而も同時にそれとは全く矛盾する絶対澄浄の巧妙を彼は渇望してやまなかった。いや、人間存在に纏わる罪の深さと、その身の毛もよだつ恐怖とを誰にもまして痛切に感ずればこそ、此の世には絶えて見出し得ぬ晴朗無染の境地をあれほどまでに烈々たる求道精神を持って尋求していたのであろう。そう言えば私がものごころついてから後にる度々目撃した彼の修道ぶりは生と死をかけた何か切羽詰ったものをもっていた。古葦屋金の湯のたぎりを遠松風の音と聞く晩秋深夜の茶室に一人湛座して、黙々と止息内観の法を修している父の姿には一種凄愴の気がただよっていた。」

 

P86

『アラビア思想史』の序文には、梶浦正之の四周『鳶色の月』に収録された「古い言葉」の一節が引かれている。(中略)

 

過ぎ去ったコトバは死んではいない。

奮い言葉は書物の中に眠っている。

わたし達の敬虔な時代の祈祷は

古い言葉を蘇らせよう。

わたし達の静かな時代の鐘は

古い言葉を洞察し賛美しよう。

 

今では、論じる人がいないばかりか、忘却の国に追いやられた梶浦正之という神秘詩人を井筒俊彦はどう呼んでいたのだろう。「わたし達の敬虔な時代の祈祷は/古い言葉を蘇らせよう」、それはそのまま井筒の「祈祷」だったのではないだろうか。

 

 

P169

「自分の心臓の血が直接流れ通わぬようなマホメット像は私には描けない(中略)だからいっそ思いきって、胸中に群がり寄せて来る乱れ紛れた形象の誘いに身を委ねてみよう」

 

「文化と文明を誇る大都会の塵埃と穢悪に満ちた巷に在ることを忘れて、幻の導くままに数千里の海路の彼方、荒寥たるアラビアの砂漠に遥かな思いを馳せてみよう。底深き天空には炎々と燃えさかる灼熱の太陽、地上には焼けただれた岩石、そして見はるかす砂また砂の広曠たる平野。こんなに不気味な、異様な世界に、預言者マホメットは生まれたのだった。」(『マホメット』)

 

(P118

神秘体験の実相を語る井筒はしばしば、「蟲惑」という表現を用いる。あらゆる予想と想念の及ばないところへ、見知らぬ者が自らを奪い去るかのように導いてゆく。どうにも抵抗することのできない招きがあるというのだろう。宗教者たちの「召命」体験に似ているのかもしれない。

 

 この詩人の眼光は、氷河を溶かす春の太陽のようなものだ。彼が眸を凝らしてじっと眺めていると、今まで硬い美しい結晶面をなしていた実在世界の表面が、みるみるうちに溶け出して、やがて、あちことにぱっくり口をあけた恐ろしい亀裂から、暗い深淵が露出してくる。絶対に外には見せぬ宇宙の深部の秘密を、禁断を犯してそっと垣間見る、その不気味な一瞬の堪えがたい蟲惑!恐怖にも充ちた暗黒の櫌乱の奥底を、身の毛もよだつ思いをもって、詩人は憑かれたように覗き込む〈『ロシア的人間』〉

 

 こうした出来事を詩人が待ち望むのではない。それは「恐怖の瞬間」でもある。「自分の意志とは無関係に、このきらびやかな垂幕が、突然思いもかけず、見ている前でするすると巻き上げられてしまう」。確かにチュチェフの肖像であるに違いない。しかし、それは井筒自身の自画像でもあったのである。

P409

 井筒の本性は「詩人」だと日野(啓三)は見る。それは井筒が詩人を論じるからではなく、「問題意識そのものが詩的」であり、詩人として世界に接しているからである、「詩人こそ言葉がゆらめき出る意識と身体の最も深い場所に身を置きつつ、人間と世界と宇宙の全体を根源的に生きる人のことである。その意味で科学させその一部門だ。いわゆる学問も」と記している。

 

 

 縺れ合い、絡み合う無数の「意味可能体」が表層的「意味」の明るみに出ようとして、言語意識の薄暮の中に相鬩ぎ、相戯れる。「無名」が、いままさに「有名」に転じようとする微妙な中間対。無と有のあいだ、無分節と有分節との狭間に、何かさだかならぬものの面影が仄かに揺らぐ。(「文化と言語アラヤ識」『意味と深み』)

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通奏低音として流れているのを、見えないものをいかにコトバとして語るか。であり、

その根源には、「哲学は、死者を救い得るか」という実存的な問題が横たわっているのである。」

と若松は本書の最期を締めくくっている。

 

 

③私自身の興味

 私自身がとても興味深く読んだ点は二つある。一つは第六章における井筒と白川静の呼応である。

P242

 文字は神話と歴史との接点に立つ。文字は神話を背景とし、神話を受け承いで、これを歴史の世界に定着さえてゆくという役割をになうものであった。したがって、原始の文字は、神のことばであり、神とともにあることばを、形骸化し、現在化するために生まれたのである。もし、聖書の文をさらにつづけるとすれば、「次に文字があった。文字は神とともにあり、文字は神であった」ということができよう。(『漢字』)

 ここで白川静が「聖書の文」というのは、先に引いた「ヨハネによる福音書」冒頭の一節「太始にコトバがあった。コトバは神のもとにあった。というより、コトバは神であったのだ」(井筒訳)のことである。(中略)

 井筒と白川の間に見るべきは言語観の一致だけではない。むしろ、両者の「神」経験の実相である。「文字は神であった」以上、それを論じる学問が、神秘、すなわち高次の神学になることは白川には当然の帰結だった。井筒俊彦にとってもまた同じである。言語学-「コトバ」の学-に井筒俊彦が発見していたのも、現代の「神」学にほかならない。(後略)

 

 

 今ひとつは井筒が生涯をかけて追求した「神秘主義」について語った言葉。

P285

 「神秘主義といいますものは、ある意味伝統的宗教の中における解体操作である、と私は考えております。つまり神秘主義とはある意味で宗教内部におけるデコンストリュクシオン運動であると思います。」(「スーフィズムと言語哲学」)

 

 上記の2点において、私がいつも感じるプロテスタント教会の中で使われる「言葉」への違和感と、その反動としてのテゼへの傾倒につなげたいと思うのだが、それは感想の域を超えるし、まだうまく説明ができないので、もう少し考えてみたい。

 

④まとめ

 本書は決して読みやすい本ではないと思う。しかし宗教、信仰、哲学、そして何よりも「コトバ」に」興味を持っているものにとっては、井筒俊彦という知られざる豊穣な言語宇宙へ足を踏み入れる道標となるだろう。

 その意味で瞠目すべき本である。よくぞ書ききったと思う。なぜそれができたのだろうか。

 それは若松英輔の哲学と宗教に関する知識、そして詩人としての類い稀なる言葉の感性によるところが大きい。しかしそれだけではない。

 あとがきで、本書執筆中に、若松はガンとなり最後まで夫の仕事を案じながら逝った妻のことを短く書いている。

 

 井筒にとってコトバは見えないものとなんとか対話しようとする試みだった。

「五感を超える実在に、コトバの「肉体」を与えること、それが哲学者の使命である、井筒はそう感じていたのではなかったか」(あとがき P435

ならば文学者にとってそれは詩であり、宗教者ならばそれを祈りと呼ぶのだろう。

本書を成り立たせたのは、若松にとってのそれなのだろう。

 

 

 

 

 

 

白川静

絶対は他者を拒否する。しかし対者の拒否が単なる否定に留まる限り、それは限りなく対者を生み続けるであろうあ。対者の否定とは、対者を包みかつ超えるものではなくてはならぬ。有に対する無は、またその対立を超えた無無であり、さらにそれを超えた無無無でなければならぬ。

 

 

遊ぶものは神である。神のみが遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、豊かな創造の世界である。(中略)この神の世界にかかわるとき、人はともに遊ぶことができた。神とともにというよりも、神によりてというべきかもしれない。